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2018.11.28 大覚寺 戊戌開封法会 

大覚寺とは

京都嵯峨野にある大覚寺は、真言宗大覚寺派の大本山です。元々は嵯峨天皇の離宮で、後に寺院として改築されました。そのため、皇室ともゆかりが深く、嵯峨御所という別名があります。皇族が住職を務める門跡寺院だったこともあり、伽藍の建物も御所風で雅やかです。歴史的価値も高く、境内全体が史跡に指定されています。

戊戌開封法会とは

1200年前の平安時代、 都で大飢饉による疫病が流行り嵯峨天皇が弘法大師の勧め写経をされ勅封(封印)として奉安。 国民の安泰を心から願われました。その年が818年の戊戌の年で以来60年に一度その写経(勅封心経)を開封して 天下泰平をお祈りするのが伝統儀式「戊戌開封法会」です。


勅封般若心経
薬師三尊図

封般若心経とは

この特別製の御写経は.平安時代の嵯峨天皇様が人々の幸福を祈られて浄書された勅封般若心経の御文字を現代技術によって.可能な限り再現したもの。嵯峨天皇様の御文字が記された本物の勅封般若心経は弘仁九年の春.大旱魃(かんばつ)から全国に疫病が蔓延し.この事を深刻に憂いた当時の天皇(嵯峨天皇)が弘法大師に相談をされたそうです。弘法大師いわく般若心経を心を込めて書き写しそれを大覚寺の五大明王(五大堂に祀られています)に奉納するとよい。嵯峨天皇は、早速これを実行にうつしました。紺紙金泥で一字三礼の誠を尽くして般若心経を書写されるとともに五大明王に全身全霊をささげて平癒の祈願をされたところたちまちのうちに疫病が治まったとのことです。以来、この嵯峨天皇宸翰(しんかん)の般若心経は霊経と崇められているそうです。嵯峨天皇は人々の幸せを祈り勅封般若心経に記された嵯峨天皇の御文字は一二〇〇年前の文字ではありますがその一文字一文字には人々の幸せを祈られた 嵯峨天皇の大御心が込められています.この原本は今でも勅封心経殿に大切に保存されており.六〇年に一度.歴代の天皇によって開けられ.天下泰平を祈ることが慣例となっているそうです。来年は、嵯峨天皇が写経されてからちょうど一二〇〇年の節目の年となります一昨年は.弘法大師が高野山を開かれてから一二〇〇年の年で.特別法要が多く営まれました。

勅使門

勅使門とは


勅使門とはお寺の境内にある、天皇や勅使と呼ばれる天皇の指示や意思を天皇の代わりに伝える役目を持つ人のみが通ることのできる門のことです。
天皇は基本的に外出をしないので、天皇の代わりに天皇の意思を伝える勅使という仕事がありました。そして勅使は天皇の尊い意思を持ってくる人だから、勅使を迎える人は天皇と同等に勅使をもてなさないといけませんでした。
勅使を迎えるお寺は、普通の人が通る門とは別に天皇や勅使だけが通る立派な門を造りました。
そのため現在も私達のような観光客はお寺の境内にある勅使門を通ることができません。

使門勅使は天皇の代理としての資格を以って宣旨を伝達することから、勅使を迎える者が、たとえ官位において勅使よりも上位であったとしても、天皇への臣礼同様、敬意を払うこととされた。勅使を受け入れる施設や宿場、寺社には勅使専用の部屋や門を造られ、現在でも勅使の間、勅使門として残されているところがある。 現在では、正倉院の「開封の儀」や皇族男子の婚約相手の家で執り行われる一般の結納にあたる「納采の儀」の際に、モーニングコートにシルクハットで威儀を正した勅使が派遣される。 また、伊勢神宮、勅祭社には衣冠束帯姿の勅使が天皇からの幣帛を携えて派遣される。 勅使には、侍従や掌典が遣わされるのが慣習になっていたようです。

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