仏教は、約2500年前の4月8日(花まつり)、ヒマラヤ山脈の南のふもとルンビニーにてお生まれになったお釈迦様が、修行ののちに菩提樹の下で、35歳の12月15日(成道会)、お悟りを開かれたことに始まります。

仏涅槃図

お釈迦さまは、80歳の2月15日、クシナガラの沙羅双樹の下で入滅されるまで、お悟りに基づいた教えを説き続けました。その後、多くの弟子達が結集して、お釈迦さまの説法集である経典、個人・宗団の戒律集である律典が成立しました。ただし、入滅後2・300年間は口伝であって、さらに教理を研究整理した論文集である論典が著されました。

お釈迦さまの入滅から100年頃、仏教教団は戒律の考え方の相違によって大きく二派に別れ、それから現代に至るまでに仏教は大きく分類すると三つに分かれていきました。

Mahayana(大乗仏教):アフガニスタン経由で東アジアへ伝来。中国、日本、韓国、シンガポールなどが主な地域。2013年の“The Worlds Religions in Figures: An Introduction to International Religious Demography”によると仏教徒の53.2%

heravada(上座部仏教・小乗仏教):スリランカ経由で東南アジアへ伝来。スリランカ、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアが主な地域。仏教徒の35.8%

Vajrayana(密教):チベット、ブータン、モンゴルなど。仏教徒の5.7% 

ここから日本の仏教について説明していきたいと思います。

仏教発生の地であるインド、東南アジアを中心として信仰されている上座部仏教では、戒律の順守、それから経典の学習、瞑想の修業を重視しています。

しかしここ日本の仏教は、先祖供養、普段の生活の中での礼節を敬うことを重視しています。
日本の仏教は中国、それから日本の古来からの宗教である神道の影響を受けて、日本にふさわしい形で洗練されてきました。もともとブッダが始めた原始的な仏教とは実践の方法は違いますけれど、インドにしろ、東南アジアにしろ、ここ日本にしろ、その根底にあるのはブッダが唱えられた素晴らしい哲学と教義に基づいています。

世界の歴史を見ると、異なる宗教同士がお互いに相容れることは、あまりありません。地域によっては、宗教の違いが今もって紛争の原因になったりもしていますが、その後の日本では、神道と仏教はうまい具合に融合し、「神仏習合」という独自の形を作り出しました。実は日本の仏教は、江戸時代までは、この神仏習合が基本だったのです。

神仏習合は、読んで字のごとく神と仏が習合したもので、奈良時代にはすでに、その形がはっきりと現れるようになります。たとえば東大寺の大仏を作る際には、八幡神(全国にある八幡宮という神社に祀られる神様)が助力したとされ、現在でも東大寺境内には、手向山八幡宮があります。薬師寺にも休岡八幡宮があります。現在は別のものとして認識されている興福寺と春日大社も、もともとは同じものでした。

今の人々は、神社とお寺はまったく違うもののように感じますが、実はそれは間違いで、日本においては、長いこと、神社も寺も区別のないものとされてきたのです。そのようになったのは、日本にもともとあった神道が、特定の開祖も教義もないというフレキシブルなものだったこと。そして仏教自体にも他に対する攻撃的な要素があまりなかったためと思われます。これは世界でも希に見る、異なる宗教同士の平和的な融合です。

日本の仏教の大きな特色に、宗派がいくつもあり、それぞれが違った性質を持っているという点があります。教義も違えば、お経や拝む仏像にもかなり違いがあり、それぞれに伝統を守っています。これは、江戸時代までは仏教が国の中心的思想として続いてきたことに起因すると思われます。大乗仏教が伝来してきた道筋にある国、中国や韓国では、仏教が排斥されて衰退した時代もあり、日本のように宗派がきっちり残った国は珍しいといえます。

宗派が多く、それぞれに性質が違うということが、仏教周辺のさまざまな文化を生み出した理由のひとつでもあります。たとえば、密教系の宗派は多種多様な仏像、禅宗系の宗派は精進料理、茶道、枯山水の庭園などを生み出し、現代まで連綿と続いています。このように宗派が多くなければ、日本文化は、これほど奥深いものにはならなかったはずです。
歴史的に見て、日本の仏教には、「奈良仏教」、「平安仏教」、「鎌倉仏教」の三つがあります。

まず、飛鳥時代に百済の人が日本に仏教を伝えます。その後、遣唐使などの活躍や、鑑真和上の来日などもあって、学問としての仏教が広まります。が、それはあくまで支配者階級のものであり、僧侶が政治に介入して腐敗を招いたこともあって、奈良仏教が平安時代まで続くことはありませんでした。

平安時代には、新たな時代の幕開けにふさわしい新しい形の仏教が導入されました。最澄が伝えた天台宗と、空海が伝えた真言宗です。真言宗は、中国に伝来していた密教(仏教にヒンズー教的な要素を加えたもの)を空海が学び、忠実に伝えたものです。天台宗は、当初、密教的ではありませんでしたが、その後その要素も加わりました。密教には神秘的な部分もあるため、呪術が大好きな貴族たちに流行しました。

鎌倉時代は、武士が勃興した時代です。天台宗の本山である比叡山延暦寺で修行をした栄西や道元が中国に渡り、臨済宗、曹洞宗の禅宗系宗派を伝えました。禅宗は、質実剛健な性質から、武士階級に人気がありました。同じく比叡山で修行した日蓮は、日蓮宗を開きました。これは、当時力を蓄えつつあった京都の町衆や芸術家などに人気がありました。やはり比叡山で修行した法然が浄土宗を、親鸞がその発展形である浄土真宗を開きました。これは、わかりやすくて戒律も厳しくなかったため、一般庶民に流行しました。 その他にも細かい宗派はありますが、おおよそ、このような形で現在に続く宗派が完成しました。