千住曙町にあるこの寺院は千葉山 西光院 薬師寺と言います。

徳治2年(1307)の創建で鎌倉幕府の創設に大功のあった千葉常胤の尊崇した薬師仏を本尊として建てられたのでこの名があります。寺紋にも千葉氏の九曜紋を使っています。江戸時代には牛田薬師として知られていました。

現在は新義真言宗に属し大日如来をご本尊としています、戦国時代の板碑なども保存されています。

西光院に祀られている方に江戸時代始めに小伝馬町の牢屋奉行を務めた石出帯刀吉深(常軒)があります。その業績は大変大きく特に明暦3年の大火を始めとして火が牢に及んだ時切放しといって囚人を火災後の集合を条件に釈放するという事を4回も行いましたが戻ってこなかった者はいなかったと言われています。

また古典の研究にも大きな業績を残し源氏物語の研究ではよく知られています。この方の功績を記した碑が現存します(文化財に指定されています)。それによれば千葉常胤の遠裔とあり三河譜代の家系で石出に住んで姓としたとありますが別の文書には本多常政の裔とあるそうです。

また西光院については吉深の屋敷(隠居所)を寺院にしたとあり元禄2年(1689)の没年以降の創建であろうとの説もあります(瀧 善成氏の説)別荘もまた千住の建設に大きな働きをするためわざわざここに建てたのではないかとの説もあります(渡辺春園氏の説)

起源については他にも諸説がありますが、千葉氏の根拠地武蔵三俣領のど真ん中に位置したことは大変重要な事のようです。